【ひえつき節人形】椎葉村に伝わる平家落ち武者伝説から生まれた仕事唄

「庭の山椒の木 鳴る鈴かけてヨーホイ 鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれヨー」で始まる仕事唄『ひえつき節』。

今回は、宮崎県椎葉村に伝わる『ひえつき節』をモチーフにして作られた『ひえつき人形』を交えながら、椎葉村にまつわるお話をします。

ひえつき節

古くからこの地方の農村部では、 山の斜面を切り開いて常食用のヒエやアワを栽培してきました。その収穫したヒエをき臼に入れて杵でつく際の仕事唄(労働歌)が「ひえつき節」です。

その歌詞には壇ノ浦の戦いで敗れた平家落ち武者の血を引く鶴富姫と、源頼朝の名を受け、平家残党追討のために派遣された源氏の那須大八郎宗久の淡くも切ない物語がうたわれています。

ひえつき人形とは、そんな「ひえつき節」をモチーフにして誕生した和紙製の民芸品です。頭にかぶった手ぬぐいが可愛い!!和紙は柔らかいイメージがありいいですね。

平家落ち武者の隠里

ひえつき節について触れましたので、歌詞の内容にも少しふれておきたいと思います。

西暦1185年、源平最後の戦い壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士たちは、追っ手から逃れるために、日本各地の山奥へと散り散りとなって逃げ延びました。そして、この椎葉村にもそんな落ち武者たちが隠れ住み、落人の隠里のひとつとなりました。

しかし、やがてこの隠れ里も源氏の総大将「源頼朝」に知られてしまう事になります。そして、頼朝より、平家残党の追討命令を受けた那須大八郎宗久がこの地にやってきた事により「ひえつき節」の物語が始まります。

鶴富姫と那須大八のロマンス

頼朝の命を受け椎葉村にやってきた大八郎が目にした光景は、既に戦意を喪失し、ひっそりとに農耕に勤しむ人々の姿でした。

素朴ながらも村での新たな暮らしを築いていた落人たちの健気な姿に心を打たれた大八郎は、幕府には討伐を果たした旨のウソの報告を行います。そして、大八郎自身もこの椎葉村に留まる決意をしました。

当地に屋敷を構え、惜しみなく農耕技術を伝えたり、平家の守り神である厳島神社を勧請するなどして落人達を慰めたそうです。

交流を深めていくうちに、大八郎は平清盛の末孫とされる『鶴富姫と』恋に落ち、逢瀬を重ねていきました。

そうした平穏な暮らしを過ごしているのもつかの間、数年後に鎌倉より帰還命令を受けてしまいます。その時、既に鶴富姫は大八郎の子を身ごもっていました。

大八郎は「男の子なら連れてこい、女の子ならここで育てよ」と太刀と系図を与え、鶴富姫を残し、鎌倉へと帰っていきました。

その後、鶴富姫は女の子を生み、やがて成長した女の子は婿を取り、その婿が那須下野守を名乗って椎葉を治めたという言い伝えが残っています。

椎葉村にまつわる名著

明治44年に当時農商務省の役人として九州視察の旅にあった柳田国男が椎葉村を訪れました。そしてこの山里で聞き書きした狩猟儀礼の伝承をまとめたのが、日本民俗学の誕生を告げる記念すべき名著といわれる『後狩 詞記』です。

作家、吉川英治も椎葉村に魅せられた一人です。『新平家物語』の中でこの椎葉村のことを、この世の理想郷として描いています。

はるか昔に思いを寄せて、ゆっくりと読書を楽しむのも素敵な時間の過ごし方ではないでしょうか。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。また別の記事でお会いしましょう。