西山憲一(1920-2003)/ Nishiyma Kenichi

略歴

1920:福島県土湯温泉にて「西山勝次」工人の三男として生まれる。

1935:高等小学校卒業。その後、父のもとで木地師修業を始める。

1947:この頃よりこけしの製作を始める。

1958:勝次型、作蔵型、辨之助型を作り一躍注目を浴びる。

1982:この頃より娘の「英子」工人が面描を行うようになる。

1995:三男の「敏彦」工人が弟子入りする。

2003:死去。

継承

【継承系統】土湯系

【師匠】西山勝次(父)

【弟子】西山敏彦(三男)・英子(娘)・木地師として弟子入りした徳永慎一・梅津正。

主に勝次型や辨之助型の作品を継続して製作した。初期には作蔵型も作っていたが山根屋の後継者(渡辺忠蔵、渡辺恒彦)工人が作り始めたのを機にその後はほとんど作らなくなった。

作品

西山憲一 こけし 買取

昭和31年ごろの作品です。

西山憲一 サイン

西山憲一工人の署名

【English edition】 Biography of Nishiyama Kenichi

June 13, 1920: Born as the third son of Katsuji Nishiyama.

After graduating from high school in 1935, he began training in wood grinding under his father, Katsuji. He started making kokeshi dolls around 1947.

From around 1982, his daughter Eiko began painting. In 1995, his third son, Toshihiko, became a disciple and kept the tradition of Nishiya.
And, He died on November 18, 2003, and was 84 years old.

今回の記事は、 土湯系こけし工人「 西山憲一 」さんについての豆情報でした。少しでもお役に立てれば幸いです。また、今後、新たな情報が入手出来次第、加筆していきたいと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

こけし 買取