菊池孝太郎(1895~1992)

略歴

1895:山形県に生まる。

1901:この頃に青根の木地師:菊地茂平氏の養子となる。

1907:小学校を卒業する。そして同時に13歳で小原直治工人のもとで木地修業を始めた。

1913:歩兵第29連隊に入営。

1914:東京で開催された大正博覧会に茶盆、茶卓、菓子入などを出品する。

1918:柴田郡村田町の相原かねと結婚する。

1932:佐藤菊治工人と共に大工や櫛屋と合同で青根木工組合を結成する。

1935:不況のために事業が上手くいかず、「青根木工組合」を解散する。

1938:木地業を断念して豆腐屋に転業。

1955:この頃を過ぎたあたりから木地業を再開して、再度こけしを作るようになる。
作るようになった。

1992:没。行年98歳。

エピソード

  • 青根木工組合を解散した後に、佐藤菊治工人(米穀商に転じた)へ注文されたこけしの一部には孝太郎工人が代わりに製作していた時期があり、それらの特徴は殆どが割れ鼻が描かれているそうです。

戦後、こけしの製作を再開した孝太郎工人の作品は、息子の正工人が挽いた木地に描彩のみ行ったとも言われています。

継承

師匠は小学校を卒業と同時に弟子入りした小原直治工人。そして、弟子には子息である、菊地孝治、菊地正、菊地啓工人の各氏がいます。

作品

菊池孝太郎の作品

菊池孝太郎工人の署名

今回の記事は遠刈田系こけし工人「菊池孝太郎」さんについての豆情報でした。少しでもお役に立てれば幸いです。また、今後、新たな情報が入手出来次第、加筆していきたいと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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