伊藤松三郎(1894~1976)

時代とはいえ十代前半から木地挽の修業を始めた苦労人であったようです。鳴子系金太郎系列の工人で高橋金太郎ー万五郎ー伊藤松三郎と継承されてきました。

略歴

1894:宮城県古川市伊藤にて伊藤権三郎、はつの二男として生まれる。

1896:父権三郎が他界。鳴子の高橋金太郎に引きとられ身を寄せる。

1906:高橋寅蔵・鈴木庸吉とともに高橋万五郎のもとで働く。

1907:鳴子尋常小学校を卒業。

1908:小松五平と共に岩手県鉛にて藤井友治の職人として働く。その後放浪。

1909:花巻の万五郎の元へ戻る。

1912:花巻の佐藤末吉の姉「よね」と結婚する。

1913:青森県浅虫の島津勝治の元で職人として働く。その後、浅虫で独立開業し義弟である佐藤末吉が弟子になる。

1916:義弟の佐藤末吉共に家族を浅虫に残し北海道へ渡り鰊漁に出る。しかし、3年間連続して失敗に終わる。その為、家族の暮らす浅虫に帰れなくなり、下駄作りや木炭焼き等をして働き、浅虫へ帰ったという逸話がある。

1922:高橋万五郎の一周忌を機会に家族で鳴子へ戻る。

1924:長男の松一が生まれる。

1937:その後、大工業に従事したり、岡崎斉吉工場にてスキー作りをしたり、高橋寅蔵のうどん屋の手伝い等をして生活し、独立して木地挽きとして生計を立てることとなる。

1938:この年、はじめて松三郎名義の作品が作られ、「こけしと作者」にてこけし工人と紹介された。

1939:山形県長沢で木地指導を行ない、伊藤肇・伊藤長一・三浦光美・石川源三郎らに技術を伝えた。

1945:大口村字沼井の開墾を始める。そして、そのかたわらこけしの製作を続けた。それ以後は長男の松一と共に沼井でこけしを作り続けた。

1963:東京こけし友の会の注文で高橋金太郎風の一筆目の古型を制作した。

1976:没。享年83才。

継承

系統は鳴子系金太郎系列とされ、師匠は高橋万五郎工人。また、弟子に伊藤松一、伊藤肇、伊藤長一、三浦光美、石川源三郎らがいて、後継者には長男の伊藤松一がいる。

作品

昭和40年代前半には古鳴子の雰囲気を伝えるこけしとして人気があった。

伊藤松三郎

松三郎の署名

伊藤松三郎工人の署名

今回の記事は鳴子系こけし工人「伊藤松三郎」さんについての豆情報でした。少しでもお役に立てれば幸いです。また、今後、新たな情報が入手出来次第、加筆していきたいと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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