【山形県の民芸】笹野彫り他・山形県の郷土玩具を紹介します!

昭和44年度の年賀切手の図案にもなった笹野彫り(にわとり)をはじめ、山形県では様々な民芸人形が作られてきました。

年賀切手の図案にもなった笹野彫りのにわとり
笹野彫のにわとり

今回はその笹野彫りの他、山形県で作られてきた郷土玩具の特徴と作品を紹介します。

種類と特徴(地域別)

五つの地域に分けてその周辺で作られている作品を紹介していきます。

山形市周辺

まずは渋江人形の流れをくむ山形張子から。

そもそも、山形張子の前身である渋江人形は、江戸後期に京都から移住してきた「渋江長四郎」が作り始めたとされ、そして長四郎の孫である彦吉が東京浅草にて新しい技術を習得し作品の型が形成されていきました。

その作品群には張子、練り物(木くずなどを固めたもの)、木目込み人形などがありました。中でもとくに有名なのが練り物玩具の「月山の玉うさぎ」です。ネルの布地で作られた耳と背中に描かれた銀色の満月となびく雲が特徴となっています。

しかし、昭和40年に長吉が亡くなり、廃絶したかに思われましたが、その技術を継承していた※「岩城徳次郎」によって作り続けられていきました。

作品には

  • ねまり虎
  • 毬犬
  • 玉乗り猿
  • だるま
  • おかめ・ひょっとこの張子面

等があります。

山形張子の毬犬。
山形張子毬犬。必死にしがみつく姿が可愛いです。

※岩城徳次郎(明治三十年代に渋江長四郎の弟子となり、十三年の修業を経て独立し岩城人形店を開業しました。

その他にも、少し縦長の長方形ので歌舞伎役者風の絵が描かれる大型の凧「花泉凧」や山形系・蔵王高湯系。弥次郎系などのこけしも作られています。

米沢市周辺

米沢と言えば、とくに有名な「笹野彫り」と「相良人形」の二つの玩具があります。

相良人形

歴史は古く一八世紀後半に作り始められたといわれています。時の藩主「上杉鷹山」公が財政立て直しのために藩士の「相良清左衛門」を相馬へ派遣し窯業を習得させました。

そして帰郷後に、山形県成島の地に日常雑器を焼くための窯を築かせました。そして、この清左衛門は彫刻が得意でもあり、余技として京都伏見や仙台堤の型を学び創作したのがこの相良人形だと言われています。

江戸後期の文化文政期に最盛期を迎え、東北地方の三大土人形のひとつにも数えられていました。

しかし戦争の影響で昭和18年に一度廃絶してしまいましたが、七代目の相良隆さんによって昭和42年に再興され現在に続いています。

七代目相良隆さんによる鯛猫。

笹野彫り

昔は一月七日の観音様の縁日に藩主「上杉鷹山」公を象徴とするお鷹ぽっぽを参拝に訪れた人々がそれを求めて神棚に祀っていたと伝えられています。

その笹野彫りの始まりは、鷹山公が領内の産業奨励として、農民たちに生活の糧として農閑期の副業として作らせたのが始まりと言われています。

やはりここでも鷹山公。どんだけ~ですね。名君の在るところに名玩具ありといったところでしょうか。

その他にも、小山田亀蔵が作っていた下小菅人形や、井上弘章による成島人形などがあります。

庄内・鶴岡市周辺

鶴岡市周辺の地域では庄内姉様、御殿まり、押絵、板獅子、絵ろうそく、建前雛などが作られています。また廃絶玩具としては江戸時代末期に創始された「鶴岡土人形」があります。

鶴岡土人形

江戸時代末期に創始され昭和33年まで作られていました。その作品の型は、山姥金時、熊金などの他に百数十種もあったそうです。

酒田周辺

酒田周辺では、酒田(鵜渡川原)土人形、酒田獅子頭、絵ろうそく、また、この地方独特の人凧・亀凧・鶴凧などがあります。

酒田(鵜渡川原)土人形

明治初期に創始され、浦島太郎や花咲か爺さんなど、同和にちなんだ作品が多いのも特徴です。

その他の地域

肘折温泉の肘折系こけしや、廃絶した猪之沢土人形などがありました。

猪之沢土人形

関山街道沿いの集落で、江戸時代後期(文化文政)から明治にかけて作られていた土人形。

瀬戸焼の陶工であった土赤五郎吉が仙台堤人形の技法を習得し、陶器づくりの合間に弟子の卯平と共に作ったのが始まりとされています。そしてそれらは、当時盛んであった三月のひな市で売られていたそうです。

山形県の郷土玩具ギャラリー

今回は山形県の郷土玩具についての記事でした。最後までお付き合いくださりありがとうございました。また別の記事でお会いしましょう。